日本にゴジラは必要か
あまりの衝撃にシン・ゴジラ三回みました。
話したいことはいろいろあるのですが、今回は一つに絞ります。
一番印象に残ってるのは赤坂の
「日本はスクラップアンドビルドでのし上がってきた。今度もまた立ち直れるさ」
という台詞(多分厳密ではないです)
この台詞を聞いて僕は、シン・ゴジラが描きたかったものがさっぱり分からなくなったのです。
虚構と現実を描ききり、日本の底力を見せてくれた今作ですが、裏を返すと一つの真が表出します。
ゴジラでも現れなければ日本は成長しない
劇中でアメリカの大臣的な人も「危機は日本ですら成長させるのか」と言い
志村も「マジ感動っすよ」と不眠不休で対策に当たる政府に驚かされ
矢口も「この国はまだやれる」と確信しています。
僕はそれを聞いて「うんうん、日本はまだやれるよー」とのんびり構えていたわけです。
ですが、これらの台詞が随所に散りばめられていることから、シン・ゴジラが、もしくは庵野監督が今の日本に下す評価が惨憺たるものであることは明らかで、もっと言えば、これらを容易に受け入れてしまう私たちもまた、日本に失望しているのだという現実を受け止めなくてはならないようです。
自分の国であるにも関わらず、日本はもうだめだろうとあきらめているような、そんな情けない現実を認めなければならない。
逆に、認めていれば認めているほど、最後まで最善を尽くして戦う巨災対や官僚たちの働きぶりに感動し、日本の底力に勇気をもらえる作りになっていた気がします。
だからこそ、シン・ゴジラは
3.11ほどの危機があっても成長できなかった日本は、もうだめだろうと
ゴジラでも現れない限り成長はないだろうと
もしかするとゴジラが現れてもだめかもしれないと
そう、逆説的に訴えかけているのかもしれないと思ったのです。
日本はスクラップアンドビルドでのし上がってきたのかもしれないが、今の日本はどこまでの破滅を経験すれば火がつくのだろうか。火がつかずにゆっくりと消え行くだけなのだろうか。
シン・ゴジラが本当に伝えたかったのは、日本へのあきらめなのか、それとも私たちがあきらめてしまった私たち自身の底力なのか、そこが分からなくなってしまったのです。
ですが映画を見終わった僕の心に残ったものは、悲観的な思想ではなく、底知れぬ熱い何かだったことに変わりはありません。
そういえば、日本に「ゴジラ」はもう来ているとも言えそうです。
シン・ゴジラが示した危機にどう応えるのか、庵野監督はそれを見たかったのかもしれません。踊らされているような気もしますが、僕も自分の生まれたこの国で好きを通そうとしてみます。